ぱぷでみー賞

日本一役に立たないコスメレビューブログ。

トイ・ストーリー4/映画に求めるもの、思い出に求めるもの【映画】

いつもお読み頂きありがとうございます。

ぱぷぽです。

今回はついにコスメの話もしません。

申し訳ないばかりです。

いよいよただの雑記ブログになってきました…。

 

 

今日は全部映画のお話し 

 

Twitterをフォローしてくださっている方、

昔からこのブログを見てくださっている方はご存知かもしれませんが

私は映画が大好きです!!

 

最近のTwitterでは8割映画の話をしている気がします

そして1番楽しくやっているSNSはFilmarksです。
宜しければこちらもフォローください!笑

交流はメインにしていませんが、人の見た映画を聞くのが好きなので!

filmarks.com

 

昔からこういった映画管理系のサイトは利用していたのですが

いろいろあって去年から観たもので再スタートしているので数は少ないですが…。

過去に見たものも、再度見るまでは評価しないことにしているので…。

 

で、今年からFilmarks内でもちょこっとレビューをつけ始めたのですが

レビュー書くのに慣れてきたせいか思い入れの強い作品は「誰が読むかよ!」

ってレベルでなが~いレビューが止まらなくなってきたので

こちらに避難させようと思った次第です笑

なので主にFilmarksのコピペ+加筆です。

 

我ながら「こんなに長く書くならブログにしろよ…」って思うし

友達に見せても「長すぎる笑」って笑われる始末なので…笑

 

万が一Filmarksからお越し下さった方!

検索からお越し下さった方!

コスメ目的でここまで読んでしまった方!

 

気が向いたらお読みいただけますと幸いです。

次項からが本編です!!

 

あらすじ

Wikipediaのあらすじは長すぎたので、今回はFilmarksのあらすじをお借りします!

 

“おもちゃにとって大切なのは子供のそばにいること”──新たな持ち主ボニーを見守るウッディ、バズらの前に現れたのは彼女の一番のお気に入りで手作りおもちゃのフォーキー。彼は自分をゴミだと思い込み逃げ出してしまう...。ボニーのためにフォーキーを救おうとするウッディを待ち受けていたのは、一度も愛されたことのないおもちゃや、かつての仲間ボーとの運命的な出会い、そしてスリルあふれる遊園地での壮大な冒険だった。見たことのない新しい世界で、最後にウッディが選んだ“驚くべき決断”とは...? 世界中が涙した前作を超える、「トイ・ストーリー」史上最大の感動のアドベンチャー。その結末は、あなたの想像を超える──。

トイ・ストーリー4 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画

 

私は全シリーズを映画館で見た”世代”という事もあり

トイストーリーが大好きなのです。

3は映画館で二回も見て、発売日にBlu-rayを買いに走ったくらい。

そしておまけにディズニーも大好きです!!

 

今回も初日に一番後ろのほぼ真ん中の席という気合の入れようで見に行ったのです。

みにいったのです…。

 

 

【注意】ここから全シリーズにわたるネタバレ!!

今回のトイストーリー4。

これを読みに来ている方なら当然ご存知のことと思いますが

賛否がかなり、かな~り分かれています。

 

ここから先のレビューは、ほぼ否の意見となります。

称賛する意見が見たいんだよ!って方はイライラすると思うので、そっと×で閉じてください…。

 

フォーキーというキャラクター

まず私が事前情報から想像していたフォーキーは

”自身をごみと思っているため自殺未遂しまくるヤバいやつ”でした笑

そこから勝手に、古いけれどアンディの寵愛をうけアンティークとしても価値のあったウッディ、最新のおもちゃとしてアンディに愛されて沢山のギミックのついたバズ。

その他にもスリンキーやポテトヘッド、レックスにハム、ジェシーやブルズアイにボニーのおもちゃたち。

そんな立派なおもちゃたちに囲まれて、ゴミから作られた出来損ないのような自分に引け目を感じ「すぐに飽きられ、捨てられる運命」と信じ込み、未来に絶望し自殺未遂しまくるヘビーな病んだキャラを想像していました。至極勝手に 

 

ところが蓋を開けてみると、ピクサーはそんな凡人の考えなんてさらりとかわし、ゴミ箱から回収してきたゴミ生まれなので”自身をごみ”と思っている割とフツーのやつでした。笑

彼のいう僕はゴミだ。は「僕は価値のないゴミくず同然の存在だ!」ではなく

「僕、ゴミという素材でできてます!ゴミ箱生まれなので、ゴミ箱落ち着くんすよ。」だった。

私が「私は人間だ~!」って言ってるのと同じ。

私が「お家が落ち着くんで帰りたいっす」って言ってるのと同じ。

 

両手を広げ声高らかに彼は言う「僕はゴ~ミだぁ~!」…うん。そうだね。

 

そんなゴーミー、違ったフォーキーはボニーの1番のお気に入りになる。

あろう事か寝るときも一緒のベッドで寝る。汚ねぇだろ!! 

なのにフォーキーは目を離すとすぐにゴミ箱へ直行してしまう。僕はゴミなので。

自殺未遂もとい帰宅の途に就くフォーキー。僕はゴミなので。

ウッディ以外は「この先割れスプーンが?」とゴミでも見る目つき。僕はゴミなので。

何度でも言おう僕はゴミなので!!

 

それでも君はおもちゃなんだ!と。スペースレンジャーなんかじゃない!と。

フォーキーを諭し、帰宅を許さないウッディ。

でもさ、別に思い悩んでゴミ箱に向かってるわけじゃないんだよフォーキー。

ここまででフォーキーになんら思い入れのない私は思うのです。

「そんなやつもう放っておけよ」

 

そんなゴミでもボニーのお気に入り。無くなったら悲しむ。とウッディは一生懸命にゴミの面倒をみる。バズに手伝うと言われても自分でやると拒むウッディ。

そうです…知らないお兄ちゃんに貰った古いカウボーイ人形なんてボニーは飽きてしまったのです。カウ”ボーイ”ならまだカウ”ガール”のがいいわ。とウッディの保安官バッチすら取り上げてしまったのです。

映画の前半ではこの”子供に飽きられてしまったウッディ”をまざまざと見せつけてくるのです。だから見てて感じるウッディの痛々しさには目を背けたくなる。

ボニーのため、ボニーのためと言いつつ、自分の居場所、役割を無理やり作るためにやっているのです、だからバズにも手伝われたくなかった。こんなウッディ見たくなかった。

ウッディだけが現実を受け入れられない中、あるおもちゃが言います。

「自分のためでしょ」と。

 

こうなってくるとフォーキーというキャラは、ただただウッディを外の世界に出すためだけの装置に過ぎなかった。とさえ思えてくる。

2でいうところのアルだ。誰?って人もいるかもしれない。

ウッディに価値があると知っていて泥棒を働く、恐らく最も醜いディズニーヴィランズ。

盗人猛々しいくそはげちびデブ眼鏡ゴミ屑野郎です。悪口が過ぎた。

アイツと役割は何ら変わらない。

 

そして我々大人は知っているフォーキーはすぐに本当のゴミになることを。

おもちゃを手作りしたことがある人は多いと思う、でもそのありかを今も知っている人は恐らくほぼいない。多分ママが捨てている。ウッディやバズはどこかにしまってあるか、売ったかもしれないけど、フォーキーはいつか必ず捨てられる。

事前にあんなフューチャーしておくべきキャラだった!?

むしろフォーキーいる!?と個人的にいまいち納得の出来ない部分かもしれない…。

 

今、映画に求めるもの

フォーキーの愚痴は猛烈に書き連ねましたが笑

トイ・ストーリー4自体に称賛の意見や、高い評価をする人がいるのもわかる。

あの!3の後に続く話を作るとすればこれしかなかった。

と言われれば納得もできる。
実際に映画館でズルズルと泣きましたけれども…。

 

2019年に作られた映画としてみると多様性や様々な生き方、考え方を肯定していて素敵です。

3以前のトイ・ストーリーをあえて否定的に捉えるならば

既存の価値観に捕らわれすぎて、真の幸福が何かを考える余地もない。

考える必要が無かった。

 

おもちゃはおもちゃとして持ち主を楽しませるもの

女は女として男性の一歩後ろで支え、助けられるもの

男は男として女性や子供を守るもの

親は子供が幾つになっても子供なので心配し続けるもの…

登場人物がみんな役割を全うして生きていた。

 

しかし、女性の社会進出、MeToo運動、Ku Too運動、イクメン、移民問題等々…

昨今の世界的な流れから見ても”社会での役割”、”黙認されてきたもの”と片付けてしまうのはあまりにもナンセンスで、前時代的であることは確かだと思う。

 

そこでおもちゃという特定の”個”の批判につながらない形で新しい可能性。

様々な選択をすることへの後回し、既存の価値観からの脱却。

今の時代に我々がしたいことを代弁してくれたのはウッディとボーであり、トイ・ストーリー4という物語だった。

 

自分の価値、役割は自分で見つける。たとえ困難でも、きっと楽しいはずだ。と

親友の新しい門出に「大丈夫、心配ない」と声をかけるバズ。

 

そして驚くほど美しくて質感まで伝わってくるCGの映像。

既にいろいろな方も絶賛されていますが、冒頭の雨、水の表現には息をのむ。

これは本当の水じゃないのか!? もはや実写なんていらないだろ!!

今が技術の最高地点なのでは…と思うほどに9年でこんなにも進化するなんて…。

 

でも、3の時は2からの世界観に入りやすいようにあえて技術を2の頃に近づけて落とした。っていうのを読んだことがあります。

だから純粋には比べられないし、こうやって映像に目を見張ってしまって、世界観に入る前に余計なことを考えてしまうから良し悪しですね。

 

これ以上技術が進化したら脳が追い付かないし、表現方法も見当たらない笑 

ボーの陶器感、ぬいぐるみたちのふわふわ感。すべてが本物のよう!!

作り物だなんて、脳の理解がすでに追い付いていない笑

 

そのくらい、作品としては素晴らしいと思う。

2019年に公開されたトイ・ストーリーという単体の映画で考えたときFilmarksでも4.5以上をつけてしまう出来だと思う。

むしろ、いきなり4を観た人は雑念なくこの映画を評価出来て、正しい考察ができるのかもしれない。

 

しかし、私はダメだ。

とてもじゃないけど納得することがどうしても出来ない。

そこまで割り切って考えられるほど大人になれない。

 

私がトイ・ストーリーシリーズに求めていたのはこれじゃなかった。

 

トイ・ストーリーという思い出に求めるもの

「君はともだち」トイ・ストーリー1の主題歌でシリーズを通して使われているトイ・ストーリーといえばの楽曲。

「俺がついてるぜ」というフレーズが使われ友情を歌った名曲!

 

その君はともだち…とはアンディの事でありバズの事でもあった。

傑作としか言えない、手放しで完璧!とまでいえたトイ・ストーリー3。

誰よりも友達でもあり、親代わりでもあったウッディはアンディと大学に行くことも出来た、アンディは大学に連れて行こうとしていた。
(ソースは不確かですがウッディは元々、アンディが子供のころに亡くなったパパのおもちゃという裏設定があるらしいです。都市伝説かもしれませんが)

それでもバズっていう仲間であり友達と、オモチャである役割を選んだはず。


アンディとの絆に変わりはないけど、役割が変わってしまったから。

大学に行ったところでオモチャとしてではなく、飾りとして置物として側にいるしか出来ないから、おもちゃでいることを選んだ。
バズ的に言えば「アンディの任務は終わり」

 

「ウッディの1番凄いところは、友達を見捨てないってとこ。絶対に。何があってもそばにいてくれるんだ。」と言いながらアンディは譲るつもりのなかったウッディをボニーに手渡す。

この台詞が大好きで、二人の思いは一緒なんだ、一緒だけど離れなきゃいけないんだ…と涙が止まらなくなりました。

というか今書きながら思い出して泣いてる笑

 

トイ・ストーリーを子供の頃にみて、一緒に大きくなり3の頃には自分も大学生…

そんな人間にとってトイ・ストーリーはただの映画の域を超えている。

トイ・ストーリーは思い出であり、20年以上続く歴史だったんです。

ウッディ、アンディ、バズへは引くほど感情移入しているのです!!

そういった層が実は結構多いと思っています。

 

なのに4では何故あのラストなんだ。と…

何故バズと離ればなれになって終わるんだ!!と思わずにはいられないのです。
ボーももちろん友達だし、仲間だけど…そういう話ではなくなってるじゃないですか。

 

頭では映画として理解できるし、評価もできる。

でも心では全く望んでいなかったし、理解もしたくない。

3以前のシリーズを否定しているとは思わないけど、我々の思い出を否定されている気持ちになるんです。

トイ・ストーリーという歴史の中ではやってほしくなかった!!!!!!

 

「じゃ、私がトイ・ストーリーに求めていたものってなんだ!?」って

考えながら帰ったら赤いカウボーイハットを被ったアンディがウッディ、バズと遊んでいるトイ・ストーリーだった。

帰って1をみて、救われた気持ちになりました。

畳みかけるようなギャグに、ウッディもバズも人間的に出来てなくてあほで。

全てが愛おしかった。

ゲラゲラ笑って子供の頃に戻った気分でした。

 

上でも触れた映像技術をわざわざ落としてまで世界観を重視した、

思い出に寄り添ってくれていた3までとは別物と考えた方が良いような気さえしてきた。

 

3という作品が、2の時にプロスペクターの言っていた「大人になったアンディが、お前を大学に連れていくか??」への優しいアンサーと捉えるなら。

4はリアルで厳しいアンサーだと感じました。

 

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。

 

 

ぱぷぽ